純粋さ故の奇行!
闇に宿る光!
soft cell、cabaret voltaireなどの電子音楽やBauhausあたりのゴシックが産まれてから既に半世紀近く!
世の中は急速に形を変えていき
決して盤石とは言い難い日本のアンダーグラウンド史に反発するかのようにコンクリートを突き抜けて咲く漆黒の音楽がある。
まだ産まれたばかりのUNITらしいけど楽曲も素晴らしく本当にカッコいいアルバムです!
Martin(JET PEPPER TOWER、京都夜想)
96†の新譜 -数奇学- を聴いている
初聴の肌触りはロマンチック
このロマンチックとはと自問する様に聴き進めると
最新プログラムなサウンドにも関わらずノスタルジーを感じていると解る
ノスタルジーと書いたけれど自分が言うノスタルジーとは映画ブレードランナーに感じるそれと同じ感触なのだ
そう自分にとって居心地が酔いのだなと♪
8曲目の 愛夢音 You に辿り着く頃にはその感触は確信になる
是非旧車で首都高を走りながら
無限ループで聴きたい音源だ
TellMachine / TELL(Mother Goose,Musu Bore,gharr,Loco-Apes,bascoda,etc…)
「数奇学」数=音として一音ごとに意味があり、交じり合う(クロス)構造。
エレクトロニカ、テクノポップ、ダブステップ、アンビエント、ブレイクビーツ、シンセポップ、ドラムンベースなど、多様な電子音楽に、ボーカル(声)とギターが絶妙なバランスでMIXされ、有機的に曲を彩る。
taira氏の高揚感を誘いながらも冷徹さを帯びた唄声と、takasi氏のNew Waveやシューゲイザーの彩りを思わせるギターが溶け込み、二人のストーリーテラーが鮮明に「数奇学」を刻み込む。
1曲目“Theme of 96†(A via peregrinorum)”から音の巡礼は始まり、曲ごとに季節や風景が変化し、シネマ感あふれる音風景が展開される。最終曲“Theme of 96†(A scriptorio)”にて記録(記憶)は綴られ、アルバムは完結を迎える。
10編のショートストーリーは互いに共鳴し合い、緻密に構成された流れの中で聴き手に新たな風景を映し出していく。
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「数奇学」拝聴メモより抜粋
緻密に練られた一つひとつの音は意味を成し曲と成り、曲は一つのストーリーと成る。
集められた楽曲は共鳴し合い「数奇学」の意味を成す。
SiN(ラパンナジール)
96†の新たなアルバム「数奇学」を聞かせていただきました。
非常にバランスよく全体が構築されているイメージを感じました。
アルバムの初めと終わりにそれぞれを象徴するような楽曲、
其処から繋がり、其処へと繋がる。
そんなストーリーを感じる曲の流れが綺麗で、けどどこか寂しげな雰囲気を感じて…そんなところが私は好きです。
そして個人的に感じた終始心地よい浮遊間。
tairaさんのエレクトロな部分と
takasiさんのギタリストな部分が調和しつつお互いを引き立て合うような…お二人それぞれの強みが
まさに交差(クロス)して生まれたアルバムだと思います。
改めてアルバムリリースおめでとうございます。
叭紅(曖ノ音)
機械を多用したトラックメイキングは孤独な工程が多く、完成した作品も内省的なものになりがちだが、
96†の楽曲はマシンビートを竜骨としつつも流麗な歌詞と和声がその周囲を彩ることによって、まるで絵巻を紐解くようなロマンスを次々に展開させる。
機械仕掛けの船は舵取り次第でどこにでもゆける。
既に世界のどこにも存在しない夜の街道を進むことも、
未だ誰も見たことのない朝焼けに目を細めることも、
音楽が紡ぐ物語のなかでは自在なのだ。
Katsuhiro Hitomi (Hello1103)
96† 「数奇学」について。
数奇学というアルバムが届けられた。
96†による楽曲群を収めたアルバム。
96†はクロスと読む。
数奇、すうき / さっき、と云うとまあ一般的には、数奇な運命だとかね、波乱に満ちた的な意味で使われる。
一方、数奇者、なんて云って、風流であったり、芸に熱心であったりといった事を示す言葉でもあるわけだ。歌道。茶道。
安土桃山期の古田重然なんて人が近年では有名ですね。
96†は二人の色男からなるユニットでそれぞれが声と電子楽器、ギター、を担当している。
電子楽器を駆使しているが存在としてはロックバンドだ。
ロックバンドマンと云う事はつまり必然的に、スター、であると同時に河原の芸人でもあるわけだ。つまり常人や世の枠には属さない異形、異端だ。
taira氏、takasi氏ともにそれぞれが率いる別のバンドでの姿は目にしているが、儚げであったり陰のある派手さであったり、程の良い異形で、婆娑羅まではいかない。
このアルバム数奇学のサウンドにしても、遊び心と幽玄が同居している。
なのでこれは、波乱に満ちた数奇ではなくて、数奇者たちによる数奇音楽だろう。
もちろん作品は世に放たれた瞬間に作者の手を離れ受け手の各々の中で無限の意味や解釈が生まれる。
作り手はもしかしたら、いやあ僕たち波乱万丈、銀河万丈、まん丸ボディの楽器はバンジョー、と云うかも知れないが
私のもとに現れた数奇学は幽玄と遊びの境地だった。
電子の跳躍する音の粒たちの上で色男たちが力まず自然にしかし目一杯に美声やエレクトリックギターでかっこつけているのが良い。
電子音は時に重厚美麗、時にアシッド、時にややインダストリアル、なれどリズムもボトムも上物も耳にうるさい押し付けがましいような事は決してなく、
しかし程よくノイズを纏い、跳ねる。遊ぶ。
アッパーなリズムの上でtakasiさんの変幻するギターが攻撃的になったりキラキラしたりキレッキレな「八月の光」
サンプリングボイスとライブで大変に盛り上がりそうな執拗なベースシーケンスや高揚するシンセに「オン」じゃない入り方をする
ギターカッティングが曲を単調にしない「Orbit」
そしてやや重さのある湿度を伴う「もうひとつの雨後へ」「そのハイエナは」「愛夢音You」を通り抜けた後に現れる水を含んだ光の粒のような名曲
「存在するとは別の仕方で」
あたりが好きです。
テーマから始まりテーマで終わる。
曲順通りに聴くとよいでしょう、と私は思います。
藤井政英 Fujii Masahide (バラナンブ)
『2025年のGoth&Techno』
言わずもがなのDeweyのtaira氏とgravel's endのtakasiによるユニット。
taira氏のロマンティシズムをシアトリカルに歌い上げるボーカルは、外連味と熱を帯びながらしっとりと濡れた艶っぽさを漂わせ、gravel's endとは違いギタリストに徹したtakasiのギターはハードな打ち込みと怒涛のように押し寄せるシンセのリフとシーケンスに拮抗し時に抒情性を醸しながら多彩に繰り広げられる。
彼等が影響を受けたであろう80sのニューウェーブ〜テクノ、New OrderやDepeche Mode…etcに対するリスペクトと、音楽的手法としてはやり尽くされたであろうスタイルを今の時代にアップデートし鳴らさんとする心意気、しかと受け止めました。
マスタリングはTia Rungrayの活動でも知られるTakayuki Noami(Non-REM Studio)、彼の音の芯に触れ音楽のディティールを丁寧に浮かび上がらせる手腕は相変わらず見事。
kaetsu takahashi(CINEOLA / Lucid And The Flowers)
美しい鍵盤やストリングスやシンセサイザー、プログレッシブなギターによって鮮やかに彩られた、西洋絵画のような作品。tairaさんの優しく包み込むようなロマンティックなボーカルによって綴られるストーリーにうっとりする。エレクトロニカやゴシックロックのレガシーへのリスペクトと同時に、新しい世界への扉を開けるような音楽探求が詰め込まれている、希望のような音がここにはある。
中里正幸(mod・SILENT PUNK TAPES 代表 / Loupx garoux,Lucid And The Flowers)